当方所蔵の掛軸、短冊、古写真、絵葉書、一枚もの、色紙等を予定。
予定 短冊 不遷流柔術武田物外
日本六十余州剣術道場記ー神道無念流之部ー
越後新発田藩の木村寅次郎門人 談吾新吉が載っている。一枚ものだが貴重な資料です。小佐野氏発行の日本武術伝書集 雑載編に掲載されていたもの。訳あって私が入手しました。
大日本柔術秘伝及び学理解釈
相模正則という人物が大正3年に発行した一枚もの。柔術の文字でのみで画像もわからず古書店より購入したもの。別にどうっていうこともない内容。
よくよく見ると武道文化研究会「文武館」が2008年に発行した本朝武芸通信第2号の7頁にこれが掲載されていました。
剣術家数名列記書
こういった一枚ものは、どういったものか?この人物たちで何かをしたのだろうか?よくわからないもの。
武具:戸田流の寸鉄
平成6年に群馬の岩井先生が東京で開催されたセミナーでの寸鉄。これ以降、これと同じ寸鉄は製作されていない限定のもの。戸田流の系譜については不明。当日は教えを請いに行くのだから白帯と思ったのだが、黒帯を締めている者多くびっくり、さらに剣道家が意外に多かった。当時の秘伝に岩井先生の後ろに私が写っていた。今は指も太くなり、この寸鉄は入らなくなってしまった。
願立(がんりゅう)松林佐馬之助 号は無雲。後に蝙也斎(へんやさい)の短冊
信州長野の出身。仙台藩剣術指南役で武術の達人。
伝書作成 下書き?
神道無念流の伝書の書き方。下書き?
中澤流神伝護身術 流祖の中澤蘇伯の本の案内ハガキ
現存流儀。
柔術絵葉書&カード
絵葉書の方は裏にソルトレイクシティの文字があり、日本の文化の紹介用のものと思われる。
カード(古写真)の方は浅草公園と記載があるが不明。
弓術絵葉書
大寺辰生君 日置流と書かれた弓術の絵葉書。
帝国武術 名師範一枚もの 幕末明治?写し
左下に新潟県小千谷町 岩渕氏と記入あり。写しだと思うのだが、この地方にもなにか残っているのだろうか?
籠手田安定 短冊
主に心形刀流の剣術家でもあり、政治家でもあった。
天保11年(1840)~明治32年(1899)60歳
貴族院議員、平戸藩藩士。元老院議官、滋賀県令、島根県知事、新潟県知事、滋賀県知事を歴任。
武術は心形刀流を主に、日置流雪荷派(弓術)、無刀流を、他に直心影流も習っていた。
和歌を能くし多く残している。
この短冊は本によると明治10年の作で、六月病床に在りて往時を回顧すれば既に人生の半を過て実に夢の如し将来の事も推して知る可きなり。
「明けてくれ暮ては明る世の中は
眠らすに見るゆめにそありける」(自筆黙斎漫録)とある。
参考文献:史料 県令 籠手田安定 Ⅰ、Ⅱ(昭和60年)
※なお、この本に載っていない和歌を籠手田安定は新潟県知事時代に三条の五十嵐神社に石碑として建立している。(史跡紹介参照)
官許 撃剣興行の一枚もの
明治期の浅草公園吾妻杖社の撃剣興行のもの。主に薙刀興行のものか。
(史料 明治武道史 渡辺一郎編著 昭和46年 P730~参照)
武徳会のハガキ
昔の武徳会のはがき。剣道、長刀。こういったハガキは当時結構発行されていたようです。
護身道教伝
日本護身道普及会発行の逆手護身道教伝初段~三段、半棒術の教伝書。昭和27年発行のもの。宗家 清水謙一郎講述。清水謙一郎は兼相流柔術の二代目でもある。武芸流派大辞典の項目『日本護身道(柔、護身、棒、杖)望月庄一郎、一に前原清三。八光流、無比無敵流、兼相流より』とあり、望月は清水の門人。内容は常心館柔術として紹介、兼相流を基本としており、また八光流のガクンもそのままの名前で紹介。半棒は無比無敵流と思われる。
剣術撃剣会一枚もの:№2
地方で行われた剣術の撃剣会の一枚ものと思われる。年不詳。
(史料 明治武道史 渡辺一郎編著 昭和46年 P730~参照)
剣術撃剣会一枚もの:№1
地方で行われた剣術の撃剣会の一枚ものと思われる。年不詳。
(史料 明治武道史 渡辺一郎編著 昭和46年 P730~参照)
冨田越後守重政肉筆?仏画掛軸
冨田越後守重政署名印の肉筆?の掛軸です。仏画というより猪に乗っているため摩利支天と思われます。
時事写真:婦人護身術の実演
大和流護身術を創始した鈴木富治子の紹介。残念なこと虫食いでこの写真の発行年が分かりません。調べれば大体の発行年は分かるとお思いますが…。指導している人物は合気武術(大東流・合気道)の竹下勇大将。武芸流派大辞典でも「大和流(合気、護身)鈴木富士子」とある。(※辞典の名前間違い?)参考資料として秘伝誌04、4の大宮司朗氏の記事「謎の”婦人護身術”を追う(後編)」を紹介しておきます。
鷲尾流柔術記念絵葉書
鷲尾流柔術流祖満二十五年記念大会の絵葉書。大正14年12月19日発行。画像の左の人物が振武館館長の鷲尾柳風斎春雄。この流儀は明治期開創の流儀で浦和に振武館を設けたという。秘伝誌などにこの鷲尾流振武館住吉神社の奉納額が紹介されていた。
大東流武田時宗複製色紙
平成4年に大東流合気柔術武田惣角源正義先生五十年祭及び記念演武大会が日本武道館 小道場で行われるという案内のはがきをもらい行ってきた。人数が多く道場には関係者のみで一般人は入れず、別室にてテレビでの演武会を観るはめに。それも単調でねむくなった。新幹線代等、何万も払い行っているのに見れないのなら案内出すなと思った。また整理券をもらい前から二番目だったのに対応が悪く後ろに並ぶはめに。整理券を二重に出していた。とにかく悪い印象しか残らなかったある意味思い出のある演武会。しかたないので演武会のパンフとこの複製の色紙を購入してきた。判子は本物か?大東流発行伝書と同じもの。
撃剣組合表
明治16年12月19日於養勇館 撃剣組合表 三本勝負の一枚物です。新潟県内では旧村松藩士、旧長岡藩士、旧黒川藩士と名前が見れ、新発田では有名な直心影流の旧新発田藩士 柿本清吉の名前が見えます。この養勇館とは?高山峰三郎(1835年天明6年~1899年明治32年、武士、剣術家、警察官)は籠手田安定(剣術家、滋賀県令他)に相談して滋賀県警察部一等巡査に採用。1880年(明治13年)に籠手田の世話で大津に「養勇館」という道場完成。高山は責任者を任され地元警察官に剣術を指導した。
書帰命 全
写本。69丁。無住心剣流剣術の小出切一雲著? 最終ページに小出切一雲五十五?と元禄二年と見える。小出切一雲は元禄二年では55歳ではないし、よくわからないもの。一雲は儒学、仏学に精通した人で出家もしているとある。この写本も内容的には天地、神仏の文字がよく見えるため、武術の本でないことは確かだが、はたして?