一言

ネットの普及によりいい加減なことがまかり通っている。

よく調べもしないで書いている輩も非常に多い。

だから実名は出せないし、本当は公開したいのだが余り公開もできないのだ。

批判はよかろう、しかし相手の悪口やウソまで書かれては…。

(私も公開しなくてもよいと思っているが一握りの必要としている人達のためにやっているようなものだ。)

 

武術史料のこと。

なんのための所蔵史料か?

大学、役所、郷土資料館、図書館等に史料を寄贈してはいけない!!

蔵書になったら最後、一部を除いて見せてくれなくなる。

いったい何のための史料なのか?

大きい機関以外、個人の研究家などには見せてくれなくなる。

前は寄贈した方がいいと思っていたのだが、ネットなどで売って

くれた方がまだ目にすることができる可能性がある。

役に立ってこその史料ではないのか?

 

そのかわり個人所有のものは皆さんに協力してもらい見せてもらっています。

写真だけではなくコピーまでいただいているところもあります。

大変感謝しております。ありがとうございます。 

批判ではなく間違いを直す。

越後伝の武術に対して…。

 

●新発田藩伝強波流棒術。

新発田藩に伝わった玉心流柔術に併伝されたとよく耳にするが、高田藩伝の玉心流と新発田藩の玉心流はまったくの別物である。強波流棒術は高田藩伝に併伝されたもので、新発田藩には伝わっていない。新発田藩伝の玉心流柔術は同じく新発田藩伝の伯耆當流居合術に併伝されたものである。

この点については新発田市史が間違っていて、小佐野氏も和儀で指摘しているとおりである。

 

制剛流印可伝書
制剛流印可伝書

●書籍の間違い

「郷土村上」を引用した「遥かなる村上藩―雅子妃のふるさと」の間違いによりさらにこの本を引用した「小和田家の歴史―雅子妃殿下のご実家」にも間違いがある。

「郷土村上」昭和49年頃の号に村上藩武芸史の研究が載っている。この村上藩武芸史の研究を執筆したO氏の所蔵の制剛流の伝書のことが書いてあり、伝系を載せている。

伝系は

   滝川甚五衛門載次

   小和田新六匡安 (雅子様の御先祖)

   丸山令治良玄

 

天明八戊甲歳中春  花押(印)

 

   佐藤銀左衛門殿

このように書いてあり、実際は写真のように傍線が引いてあり、順番に伝わってきたものが省略されたために勘違いをされたのだろう。

両本共に三人連名でもらったと書いてあるが、連名でもらったのではなく、丸山令治一人より伝授されたものである。

もう一つM家に伝わっていた小和田郡蔵発行の制剛流の免状であるが、これも実際は制剛流ではなく、心流の三ツ道具術である。同家にもう一枚ある制剛流の免状は正解。

(写真は参考として心流三ツ道具術の伝書。)

●ウィキペディアの間違い

(書いている人は決まっているようで好き勝手に書いているようだが、わざわざ反論する気もないが……。)

 

・微塵流…佐渡島に伝承したとあるが伝承していない。一波流としては伝承していたが、微塵流とし 

     ては存在せず、伝書もなく伝承していない。某書の読み間違いと思われる。

 

・片山心働流…一時、飛び蹴りがある。空手の影響がある。と書かれていたが、某書の読み間違いと

       思われる。天神明進流と勘違い?近年、伝承者の一人が杏の木を打って枯れさせるま

       で修業したとあるが、剣術も伝承されていたので、素手で打ったのか剣で打ったのか

       は不明。        

●地元のホームページの間違い

(いまだに残っているとか書いてある。)